最高裁判決平成9年7月15日

最高裁判決平成9年7月15日

最高裁判所第三小法廷-裁判長裁判官-千種秀夫、裁判官-園部逸夫、裁判官-大野正男、裁判官-尾崎行信、裁判官-山口繁

主文      
一 原判決を次のとおり変更する。      
1-上告人は、被上告人に対し、六九四万四四二〇円及びこれに対する 平成三年三月五日から支払済みまで一日につき一〇〇〇分の一の割合による金員を支払え。
2-被上告人のその余の請求を棄却する。  

1-被上告人は、上告人に対し、一七四四万四三八三円及びこれに対する平成六年三月五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。      
2-上告人のその余の民訴法一九八条二項の裁判を求める申立てを棄却する。     
三 
訴訟の総費用及び上告人の民訴法一九八条二項の裁判を求める申立てに関して生じた費用は、これを一〇分し、その八を被上告人の負担とし、その余を上告人の負担とする。

理由
上告代理人井上二郎、同上原康夫、同中島光孝の上告理由中第一の二を除くその余の上告理由について所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する 証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判 決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。  

同第一の二について  
一 
原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。  
1-被上告人は、上告人(本判決の理由においては、承継前上告人のことも、単 に「上告人」という。)との間で、昭和五八年一〇月四日、ホテルD新築工事を報酬九八〇〇万円、引渡期限を昭和五九年二月二八日として請け負う旨の契約を締結し、請負人がその責めに帰すべき事由により目的物の引渡しを遅滞したときは一日につき契約額の一〇〇〇分の一に相当する遅延損害金を支払い、注文者が報酬の支払を遅滞したときは一日につき支払遅滞額の一〇〇〇分の一に相当する遅延損害金を支払う旨約定した。  
2-本件工事の進行中に二回にわたって追加工事が行われ、その報酬額は第一回追加工事については六四一万二九五〇円、第二回追加工事については一五二万三九七〇円である。
3-右1の引渡期限はその後延長されたが、被上告人は、右延長された引渡期限に三四日遅れて、昭和五九年四月一七日、右追加工事を含めた本件工事を完成させて建物を上告人に引き渡した。引渡しの遅延による右1の約定に基づく被上告人の上告人に対する損害賠償債務の額は、三三三万二〇〇〇円である。  
4-上告人は、被上告人に対し、報酬のうち八〇〇〇万円を支払ったのみで、残金二五九三万六九二〇円の支払をしない。  
5-本件工事の目的物である建物には、(1)三号客室敷居の木材のねじれ、化粧土台のゆがみ及び化粧建具の調製不良等の瑕疵、(2)二階の浴室のゴムシート防水工事及び一階の浴室の床下土間コンクリート打設工事未施工の瑕疵が存在し、その修補に要する費用は、右(1)の瑕疵につき五万一五〇〇円、右(2)の瑕疵につき一五六〇万九〇〇〇円である。
6-告人は、昭和五九年一一月一日の第一審第一回口頭弁論期日において、右3の履行遅滞による損害賠償債権及び右5(1)の瑕疵修補に代わる損害賠償債権を自働債権として、被上告人の本訴請求債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をし、平成三年三月四日の原審第六回口頭弁論期日において、右5(2)の瑕疵修補に代わる損害賠償債権を自働債権として、被上告人の本訴請求債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。  

被上告人の本訴請求は、上告人に対して既払分を除いた報酬残債権二五九三万六九二〇円及びこれに対する建物引渡しの日の翌日である昭和五九年四月一八日から支払済みまで約定の一日につき一〇〇〇分の一の割合による遅延損害金の支払を求めるものであるところ、原審は、次のとおり判示して、本訴請求を、上告人に対し報酬残債権六九四万四四二〇円及びこれに対する建物引渡しの日の翌日である昭和五九年四月一八日から支払済みまで約定の一日につき一〇〇〇分の一の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余の請求を棄却した。  
1-上告人は、被上告人に対し、右一3及び5(1)、(2)の合計一八九九万二五 〇〇円の損害賠償債権を有するから、被上告人の報酬債権は、右一6の相殺により その対当額が消滅した。  
2-相殺の意思表示は、双方の債務が互いに相殺をするに適する時点にさかのぼってその効力を生ずるところ、自働債権である上告人の被上告人に対する右一3の履行遅滞による損害賠償債権は、建物の引渡しがされた昭和五九年四月一七日まで に期限の定めのない債権として発生し、その発生の時から弁済期にあると認められ、同じく自働債権である上告人の被上告人に対する瑕疵修補に代わる損害賠償債権も、 右引渡しのされた昭和五九年四月一七日に期限の定めのない債権として発生し、その発生の時から弁済期にあると認められ、他方、受働債権である被上告人の上告人に対する報酬債権は、右引渡しのされた昭和五九年四月一七日に弁済期が到来した と認められるから、右相殺の意思表示は、相殺適状になった昭和五九年四月一七日 にさかのぼってその効力を生じた。
3-相殺後の報酬残債務は、右相殺適状になった日の翌日から遅滞に陥る。  

しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。請負人の報酬債権に対し注文者がこれと同時履行の関係にある目的物の瑕疵修補 に代わる損害賠償債権を自働債権とする相殺の意思表示をした場合、注文者は、請負人に対する相殺後の報酬残債務について、相殺の意思表示をした日の翌日から履行遅滞による責任を負うものと解するのが相当である。けだし、瑕疵修補に代わる損害賠償債権と報酬債権とは、民法六三四条二項によ り同時履行の関係に立つから、注文者は、請負人から瑕疵修補に代わる損害賠償債務の履行又はその提供を受けるまで、自己の報酬債務の全額について履行遅滞による責任を負わないと解されるところ(最高裁平成五年(オ)第一九二四号同九年二 月一四日第三小法廷判決・民集五一巻二号登載予定)、注文者が瑕疵修補に代わる 損害賠償債権を自働債権として請負人に対する報酬債務と相殺する旨の意思表示をしたことにより、注文者の損害賠償債権が相殺適状時にさかのぼって消滅したとしても、相殺の意思表示をするまで注文者がこれと同時履行の関係にある報酬債務の全額について履行遅滞による責任を負わなかったという効果に影響はないと解すべきだからである。もっとも、瑕疵の程度や各契約当事者の交渉態度等にかんがみ、右瑕疵の修補に代わる損害賠償債権をもって報酬債権全額との同時履行を主張することが信義則に反するとして否定されることもあり得ることは、前掲第三小法廷判 決の説示するところである。  

これを本件についてみるのに、上告人は、被上告人の報酬残債権請求に対して前記一3及び5の損害賠償債権を自働債権とする相殺の抗弁を主張するとともに、報酬残債務の全額が瑕疵修補に代わる損害賠償債権と同時履行の関係にあるから履行遅滞による責任を負わない旨を主張するものであるところ、右同時履行の主張が信義則に反すると認めるべき特段の事情のうかがわれない本件においては、上告人が平成三年三月四日に相殺の意思表示をするまでは上告人主張の右同時履行の関係があったものというべきであり、上告人は、右相殺後の報酬残債務について、右相殺の意思表示をした日の翌日である同月五日から履行遅滞による責任を負うものというべきである。右と異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記事実関係の下においては、本訴請求は、右相殺後の報酬残債権六九四万四四二〇円及びこれに対する平成三年三月五日から支払済みまで約定の一日につき一〇〇〇分の一の割合による遅延損害金の支払を求める限度 で理由があり、その余は理由がないから、原判決を主文第一項のとおり変更すべきである。上告人の民訴法一九八条二項の裁判を求める申立てについて上告人が右申立ての理由として主張する事実関係は、被上告人の争わないところであり、原判決中上告人の敗訴部分のうち六九四万四四二〇円に対する昭和五九年四月一八日から平成三年三月四日まで一日につき一〇〇〇分の一の割合による金員の支払を命じた部分が破棄を免れないことは前記説示のとおりであるから、原判決に付された仮執行宣言が右限度で効力を失うことは論をまたない。したがって、右仮執行宣言に基づいて給付した六九四万四四二〇円に対する昭和五九年四月一八日から平成三年三月四日まで一日につき一〇〇〇分の一の割合による金員合計一七四四万四三八三円及びこれに対する平成六年三月五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による金員の支払を求める上告人の申立ては、正当として認容すべきであり、その余の部分の申立ては、理由がないからこれを棄却すべきである。  
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、一九八条二項、九六 条、八九条、九二条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

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