別府マンション事件以前

別府マンション事件以前

先ず、日本の裁判所の判決を出す根拠の考え方です。

日本の裁判所では「先例拘束性の原理」(=先例に必ず従えというルール)はありませんが、実際は慣行として先例に従う傾向があります。ただし、「先例としての重み」には差があり、当然最高裁の判例は尊重され、これが1度出ると、下級審がそれに真正面から反対するような裁判を行うことはまずありません。
また、刑事訴訟法や民事訴訟法には、最高裁が上告受理するのは一定の場合に限ると定められており、その一つが最高裁判例に反する判断をした場合です。この規定からは、単なる「先例としての価値がある裁判」とは異なり、最高裁の判例には特別の重みがあると読み取ることも出来ます。
ここまでokwave.jpから引用

つまり、最高裁の判例をくつがえすような裁判例が出てしまっては、いまはやりの法的安定性※1が保てないので、上告受理をするとい事です。

※1法的安定性:昼と夜,春夏秋冬の四季の循環が不規則に変化したりしたら,われわれの生活が成り立たなくなるように,法治国の国民の生活も,法や法の適用が不規則に変化すると,さまざまな不都合をこうむります。人々は法が安定して適用されることを期待して行動していますから,この期待を裏切らないようにしなければならない。法的安定性とは,法や法の適用を安定させ,人々の信頼を保護する原則です。そこから,
(1)立法上の原則として朝令暮改を慎むこと
(2)法適用を安定させること
(3)当事者の信頼を保護すること,などの原則が生ずるのです
ここまで、世界百科事典より引用

余談ですが、磯崎陽輔首相補佐官の地元大分市での国政報告会での次の発言です。
『時代が変わったから、集団的自衛権でも我が国を守るためのものだったら良いんじゃないかと(政府は)提案している。考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない。本当にいま我々が議論しなければならないのは、我々が提案した限定容認論のもとの集団的自衛権は我が国の存立を全うするために必要な措置であるかどうかだ。「憲法解釈を変えるのはおかしい」と言われるが、政府の解釈だから、時代が変わったら必要に応じて変わる。その必要があるかどうかという議論はあってもいい。』
ここまで東京新聞より引用

「法的安定性は関係ない」となってしまったら、長い時間をかけて積み上げてきた消費者保護の観点に立ったカオスなあなたにとってのこの画期的判例も、ほとんど役立たずの単なる裁判例でしかなくなってしまいます。

難しいことは俺(私)には分からないと斜に構えて傍観者にならずに、こんなことからでも我がこととして積極的にコミットメントしていただきたいと切にお願いいたします。

なぜなら、この法的安定性はカオスなあなたにとっての必修要件なのですから・・・・・・

因みに裁判所の順位は、簡易裁判所→地方裁判所→高等裁判所→最高裁判所です。

では、別府マンション事件以前はどうだったのでしょうか?

まずは民法を見てみましょう!

(請負)
第六百三十二条  請負は、当事者の一方がある仕事を完成することを約し、相手方がその仕事の結果に対してその報酬を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。
(報酬の支払時期)
第六百三十三条 報酬は、仕事の目的物の引渡しと同時に、支払わなければならない。ただし、物の引渡しを要しないときは、第六百二十四条第一項の規定を準用する。
(請負人の担保責任※2)
第六百三十四条 仕事の目的物に瑕疵があるときは、注文者は、請負人に対し、相当の期間を定めて、その瑕疵の修補を請求することができる。ただし、瑕疵が重要でない場合において、その修補に過分の費用を要するときは、この限りでない。
注文者は、瑕疵の修補に代えて、又はその修補とともに、損害賠償の請求をすることができる。この場合においては、第五百三十三条の規定を準用する。
第六百三十五条仕事の目的物に瑕疵があり、そのために契約をした目的を達することができないときは、注文者は、契約の解除をすることができる。ただし、建物その他の土地の工作物については、この限りでない。

※2瑕疵瑕疵の漢字それぞれの意味と語源・由来を整理します。
「瑕」は「傷・欠点」などの意味の漢字、
元々の意味は「未加工の玉=傷がある状態」です。
「疵」は「傷」という意味の漢字、
元々は「わずかに開いた傷口」という意味です。
よって、二つを合わせて「未加工の玉に開いた傷がある」という意味です。
ここまで意味纏めから引用

※2瑕疵担保責任とは売買の目的物に瑕疵(その物が取引上普通に要求される品質が欠けていることなど、欠陥がある状態)があり、それが取引上要求される通常の注意をしても気付かぬものである場合に、売主が買主に対して負う責任をいいます。 この場合、買主は瑕疵があることを知った時から、1年以内ならば(買主がその物件を買った時から10年以内と考えて下さい。)売主に対し、損害賠償の請求ができますし、また瑕疵のために契約の目的を達することができないときは、契約を解除することもできます。 そして、いずれの請求をする場合も売主に過失(ただし、建物その他の土地の工作物については、この限りでない。瑕疵があるということを知らなかった)があることは要件ではありません。
ここまでhome-knowledgeから引用、ただし括弧内は筆者による追記です。

これをもう少しくだけた言い方にすると、買った建物に当初(引渡し前まで)に気付かなかった傷(瑕疵)や雨漏り、設備機器の不具合または構造的欠陥(欠陥ないしは瑕疵)があることが分かった場合、それを知った日から1年以内(買主がその物件を買った時から10年以内と考えて下さい。)に売主(不動産業者)にその損害の賠償を求めることが出来る。この場合に売主がその物件に瑕疵があることを知っていたか否かは問題とならなく、且つ、その瑕疵の立証も買主がしなければならない義務はない。(ただし、実態はその原因と対策方法を用意しておかないと、買主が望む解決にはおぼつかない裁判例が多い傾向です・・・・・・・)

ここで問題になるのが、第635条のただし書き・・・・
民法第六百三十五条「ただし、建物その他の土地の工作物については、この限りでない。」
先の別府マンション事件の判例が出されるまでの、欠陥住宅のメルクマールになったと思われる判例を下記に列記してみると
2002年(平成14年)9月24日最高裁判例
施工会社が建築した建物に重大な瑕疵があり、建替えるしか対処方法がないとして、再建築費用相当額を損害賠償請求を起こした裁判で、これを全面的に認めた日本で最初の判例です。

2003年(平成15年)10月10日最高裁判例
施工会社が建築主の意図に反し勝手に工事を進めた結果、建物の構造体力上問題がないとしても、建築主の意図とは異なる建物となってしまったことに対する過失相殺を争った裁判で、主観的瑕疵を認め過失相殺を認めた判例です。

2003年(平成15年)11月14日最高裁判例
建売住宅を購入した被控訴人が、名義貸し建築士Aに建築士法一八条一項にいう誠実義務に違反したとして、損害賠償請求訴訟を起こした裁判で、Aには義務違反無かったとした判決。

これらの判決が出る以前は、仕事の目的物が土地工作物(建物)の場合は、 民法が請負契約の解除を否定している635条但書のことを理由に、 欠陥住宅の建替費用の請求は解除を認めたに等しいとして、 この請求を制限すべきであるとする下級審判決が幾つも出されてきました。

ようは、2002年(平成14年)9月24日最高裁判例前はほとんどの欠陥住宅訴訟の判決では、致命的な欠陥があっても建替費用相当額の損害賠償請求訴訟では、先の635条但書の理由によって門前払いを受け来たといことです。

この民法は1896年7月16日施行(明治29年)されたもので、その当時の住宅は木造の平屋ないしは2階建てで、施主がその建物に必要な木材などを自ら購入し、大工(尊称です)はその材料を使って建物を建てるための手間を生業としており、工期の約束等はなく、また工費はそれに掛った分で請求するという時代でした。このころは簡単な間取り図だけで約束をし、床の間や書院などの特別な部分だけを、施主と打ち合わせをしながら作り上げていたという時代です。
いまのように住宅が商品となってしまった現代と時代感覚が大きく異なるにかかわらず、いまの戦争法案(安全保障関連法案)で問題となっている「憲法学者は字面に拘泥する」と言っている与党の副総裁がいるようですが、これを見る限り裁判官も同様な感性の持ち主だったのではないでしょうか。

日本の裁判所は、「社会の法的安定性確保のためには、裁判所は社会の動きの半歩後を歩むべきである。」という姿勢だったといっているようですが、この時代感覚のずれはそんな簡単なことでなかったように、私には感じられるのですが、皆さんは如何でしょうか。。。。

つまり、2002年(平成14年)9月24日最高裁判例が大変に大きなメルクマールとなり、こうした下級審判決の一部の傾向を明確に否定した点にこそこの判例の最大の意義があったのです・・・・・・

そして、こんかいの別府マンション事件の判例がそれ以上に画期的なのは、その当事者を建物の買主のみに限らず、そこで働く者や、はたまたその建物の周辺を通行する通行人にまでその権利があることを認め、また、その時間軸についてもこの欠陥を放置した場合の将来の影響までを含めて拡張容認したことにあるのです。

これは、その建物の売主側(販売業者+施工者+設計者+工事監理者+不動産仲介業者等々)に対し買主側(居住者+そこで働く者+そこを訪問する者+その周辺の他の建物+隣人+通行人等々)が、その欠陥に起因して受けた損害に対して相当の将来に対する期間にわたって(約20年程度だと思われる)賠償請求が可能だとした点にこそ、この判例の異次元性がある。これは空間としても時間としても社会的な枠組みの最外郭までを包括させたものだと私はおもうのです。

文責 釈迦牟尼仏 建太

次回に続く欠陥乃至は瑕疵をつかむコツ

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