客観的基準とは-5
前回のブログでは基準書そのものが、欠陥を内在させていることをお伝えしました。今回はたまたま見つけたブログが、私にとってはかなり新鮮に感じられたので、それを見てみたいと思います。
こんばんは!みのりです!
前回は「嘘は自分を絞める」
ということでしたが、
そのなかで「品」ということに関して質問をいただいたので
今回は”私が思う「品」とはなにか”
ということについてお話ししたいと思います。
「品」
言い換えれば「しな」
「商品」も「しな」ですね。
人は常に自分を社会に「商品」として出しています。
その価値に見合ったお金や交友関係をもらうのです。
私が思うこの「品」というのは、人間そのものの「価値」です。
品がいい人には価値があります。
品が無い人には価値がないとはいいませんが、
あなただったら品がある人と付き合いたいと思うハズです。
具体的に品というのは日常でよく見られます。
日本人はよく品があると言われますが、
それは親切心が多く出た「品」のことを指します。
例えば
エレベーターの開くボタンを押してあげる。
電車から降りる人を先に通す。
近くの人が落とし物をしたら拾ってあげる。
「あれ?それは当然のマナーなんじゃないの?」
と思ったあなたはいい「品」を持っていますね!
そうなのです。日本では多くの「品がある行動」
というものはマナーとして定着しています。
マナーというものは相手への親切心からする行動を
半分義務化させたようなものです。
「マナーを守りましょう」
というのは
「あなたも相手に親切にしましょう」
という感じに言い換えられます。
実際マナーを守ってもらえたら嬉しい気分になるので
それはそれでいいのですが、マナーを守ってもらってあたりまえ
という風潮なのはよくない傾向だと私は思います。
マナーの根底には親切心という心があることをみな忘れつつあるのです。
する側も、される側も、です。
だからみな「品」と言われてもぱっと思いつかないのですね。
品というのはちょっとした親切心から出る相手への思いやりの気持ちです。
服装だって、言葉遣いだって、行動だって、全部相手を気遣えるハズです。
なにが品かということを調べる必要はありません。
ただあなた自身がされて嬉しいことを相手にもしましょう。
それがあなたの「品」に繋がり、
「価値」の向上に繋がります。
短いですが今日は「品」についてまとめてみました。
ここまでameblo.jp/minori-soudanより引用
以上